鬱リーマン、株式投資とパチスロと不毛な日々

鬱病になり会社に行けず、ノーサラリーなので個人投資家やりながらパチスロ打ってます。少額投資、損小利小なので大きな事は言えませんが、もしかしたら株で勝てない人にヒントをお伝えできればいいなと思い、日常の出来事を綴ります。

【雑記】鬱病になったきっかけと今 ([1/3] きっかけ 前編)

今日の誰も関心を寄せない私事の呟き

  • 好きな芸能人はNuno Bettencourtです (N4をJP1本/USA3本所有)
  • 音楽はメタル好きでBABYMETALにハマりました (ゆいもあちゃんまじゆいもあちゃん)
  • 愛用エディタはVi(Vim) です。Emacs派と言い争う気はありませんが、秀丸派とは言い争いますw
  • 最高のPCはX68kです。ですが、傑作RPGのXanadu/ScenarioⅡは移植されませんでした
  • 好きな食べ物はデパスです (只今、絶賛効果切れの最中です)
  • 円周率100桁を暗記しています。女性にドン引きされます(言わなきゃいいのに)
  • 般若心経を暗記しています。女性にドン引k (ry

 

株式投資は未だ信用限度額一杯ポジション取ってるので、ブログ開設当初の目論見とは異なりパチスロメインのブログになっております。。。

だって、お金は必要。デイトレしたい。。

休職中でも住民税40K/月とか、社会保険料の支払いとか、夢とMONEYがMORIMORI減っていきます

海見てボーッとしたり、公園で鳩見てボーッとしている男からそんなに住民税取るなよ。。

 

いつもは読んでもらった方にクスッと笑ってもらえるような構成を考えてはいるのですが、今回は雑記です

自分の心境を吐露してみたく、予定では3回に分けて書こうと思っています

つまらない話と思いますが、読んで頂ける方がいらっしゃれば幸いです

もし、同じような方に読んで頂けて、何かコメント頂けると、なお幸いです

 

今日のひと言

鬱になるより、T.UTUになりたい。

宇都宮隆 T.UTU

宇都宮隆(TM NETWORK好きです)

休職してからの日常

鬱病と診断され、休職して無収入となって1年ほど経ちました

今はデイトレしています

ただ、ここ1ヶ月程はスイングのつもりが中期保有に変わってきており、PCモニターをボーッと見ています

そうすると1時間ほどで飽きてしまい、趣味だった(収支プラスだったので)パチスロを打ちに行きます

 

1人になりたいです

店に客が沢山いようと、自分独りの時間を過ごせるので、ついパチスロで時間を潰します

極力、隣に客が座らない台に座ります

不毛な生活を送っています

その時間で勉強すればいいのに。英語、中国語、色々勉強したい事はあるのに本は「積ん読」状態です

 

外に出られないという事はなくなりました

集中力も出てきました(デイトレもブログも書けてますし)

ただ、復職する気にはどうしてもなりません

未だ仕事に恐怖があり、毎日薬を飲んで気持ちを鎮めています

極稀に社長に状況報告で会ったり、友人に会いますが、皆一様に「元気そうじゃない」と言ってくれます

なので、自分でも、今の自分がどういう状態なのかわからなくなっています

ただ復職したくないから怠惰な生活を送っているのか、先生の診断が正しいのか。。

 

親友が超大手メーカーに勤務しているのですが、そこでも鬱病で休職する人が結構いるそうです

「3~6ヶ月で復職してくる奴いるけど、ほとんどがまた休職する」

「2~3年位は仕事の事考えずに好きな事してみろよ。今まで異常な位働いてたんだから。俺の会社でも毎日雀荘に通って3年後に復職した人いるけど、その人は今普通に仕事してるよ。"日にち薬や"と思えって」

と励ましてくれます

涙が出るくらい有り難いです

 

社会人になってからのあらすじ

社会人になった当初

22歳
新卒で商社に入社しました

理系でしたが、「これがやりたい」「この会社に入りたい」という強い希望はありませんでした

どちらかというとサラリーマンにはなりたくありませんでした

父は猛烈サラリーマンでした

私が小学生の頃は朝5時に家を出て23時頃帰宅していたと聞いています

最終的には専務/監査役まで昇進しました

父は立派です、誇りに思っています

ですが、同じ事を自分ができるか?やりたいかと自問した時、サラリーマンは選択肢にはありませんでした

ただ、小学生の頃からパソコンが好きでプログラミングに興味がありました

入社した商社は半導体デバイスの専門商社で、組み込みソフトウェア/ハードウェア開発部門があったので就職を決めました

パソコンのソフトウェアではなく、身の回りに溢れている電子機器を制御するプログラムが書いてみたいと思いました

 

そこのソフトウェア部門に配属されました

この頃は新入社員研修をしっかりしており、某大手半導体メーカーに行って1年間の研修期間がありました

ハードウェア開発言語のVHDLやVerilogを使ってハードを動かすのは初めての経験で新鮮でした

ソフトウェアを書いてハードウェアを動かすのも、また新鮮でした

7セグLEDやドットLEDを点灯させたり、ボタン押下を検知して簡単なゲームを作ったり。

ですが、子供の頃から開発言語に親しんでいた私は、スケジュール1ヶ月に対して実装3日で終わるペースで研修が進み、持て余した日々は、過去の受講生がPCに仕込んでくれていたファミコンエミュレーターでドラクエ三昧&部屋を抜け出して喫茶店で本を読んで毎日を過ごしていました

※20年以上前の事なのでエミュROMはまだ違法とされていなかったのであしからず

配属からイレギュラー

こんな研修期間を過ごしていましたが、会社には悪評は届いていなかったようで、研修途中で私だけ研修終了となり、仕入先の半導体メーカーへ出向、転勤となりました

25歳

そこでも良い評判を頂いたようで、客先のメーカーへ出向&転勤

この時点で、同期だけでなく先輩と比較しても圧倒的な売上げを上げていましたが、普通に歩む道からは外れていたと思います

何せOJTがなかったので、本社での開発が何をやっているのかわからず、自分のやっている事の難易度を、他者と比較のしようがありませんでした

これは結構悶々としました

順調に出世していきました

29歳

その後、自分の中では社内で一番キツいと思うメーカーのソフト開発部隊への異動を願い、実現

そして順調に役職は上がっていきました

34歳

東南アジアでオフショア開発を行う計画が立ち上がり、現地法人の立ち上げ要員に抜擢して頂き、海外赴任しました

この時、海外の魅力に取り憑かれました

出張者のアテンドができるように、夜の遊びはあらゆる店に行き開拓しました

この頃の話も、いつか書きたいなぁと思います

 

鬱になったきっかけ

そして地獄を見る

39歳

29歳から携わっていた客先の巨大プロジェクトのプロジェクトリーダーとなりました

客先の要求に応えるスキルは我が社にはありませんでした

やる事と言えば、できる下請け会社を探してくること

我が社のチームは、プロパーは私1人に、下請け20人という体制になりました

しかも下請けは全国バラバラ

 

プロジェクトの難易度も納期設定も、過去最高の厳しさでした

そんな中、社内からは「おまえならやれるだろう」「おまえにしかできない」と言われ、ヘルプ要請を出しても増員してもらえませんでした

週に3回、日帰りの東京出張

プロジェクトの全体会議に出席する為です

この場は各社から総勢50名集まり、3~5時間続きます

 

ここで、客先のリーダーから名指しで立たされ、

「おいこら、おまえらプロやろ。こっちはプロに頼んでるから金払ってるねんぞ。血吐いても倒れてもなんでもええから明日俺が出社するまでに不具合なおしとけ!!」

 

「こらボケ、おっさん何ぬかしとんねん!おまえん所はアホばっかりか!!」

などの罵詈雑言を受け続けました

体力的にも精神的にも追い詰められ、結局、単身赴任を自ら決め東京に移りました

寝られない、起きられない

週末は定時後に進捗報告会をさせられました

何の専門スキルも先端技術も持っていない我が社が、出来もしない開発を受託し、遂行する為に人をかき集めたチーム

私も最先端のスキルは持っていませんでしたし、持っていたとしても20人が作る設計書、プログラムを全て把握するのは到底無理な話でした

そういった状況で進捗報告しろと言われても、できないものはできません

下請けから人を呼び、面直で詳細説明させてくれと言っても

「おまえボケか!余計な金かけんとおまえ1人で来て説明しろや、プロやろクソが!できひんのか、どアホ!」

と言われ続ける週末が続きます

そんな事を言われるような進捗遅れは無いのに、、いくら説明しても伝わらない

だから担当者から直接話をさせたいのに。

そして、2時間程ボロクソ言われた後は接待に連れていき、客は浴びるほど酒を飲み泥酔してもなお深夜3時まで付き合わされる(月に接待費予算を100万持ってました)

泥酔すると客が本音を吐きます

「俺はな、外注はボロクソに叩いて追い込んだるんや」

 

「もうこれ以上追い込んだらあかんやろ、って所まで追い込んでやらんと、仕事しよらへんからな」

これが当時の仕事でした、社畜どころか客畜になっていました

徐々に食欲が無くなり、朝食はおろか昼食も食べられなくなりました

むしろ、昼のチャイムを聞くと吐き気が襲ってきました

 

夜、寝られなくなりました

寝ても1時間で目が醒めて、翌朝が来なければいいのに、ずっと暗ければいいのに。

そんなネガティブな事しか考えられなくなりました

会社への抵抗、有給休暇取得を申請したが

布団から出られなくなり、上司に有休を申請しました

結果、家まで押しかけられました

「おい、今日も会議あるだろ!誰が出るんだよ!どうしたらいいんだよ」

 

知らんがな。。そういう時の為におまえがいるんちゃうんか。。。

今ならそう思いますが、基本的に人に言い返す性格では無く、結局会社へ連れて行かれました

心療内科の受診

会議での電車移動の乗り継ぎ、山手線の電車を見てると、飛び込む人の気持ちがわかるというか、飛び込んだら、地獄の会議に出席しなくてもいいのにな、とか、極稀にですが思うようになりました

死にたいとまでは思ってませんでしたが。

 

週末自宅に帰って東京に戻る時、まだ2歳だった長女を連れて嫁が新幹線のホームまで送ってくれました

車両に乗り笑って手を振りましたが、娘は号泣し車内まで聞こえてきました

成人して親族の葬式以外で初めて泣きました

2駅停車する位まで涙が止まりませんでした

 

さすがにこのままでは気が狂うと思い心療内科に行ってみました

診断結果は忘れましたが鬱病とは診断されませんでした

処方されたのはメイラックス、デパス、ドグマチール

 

会社まで徒歩5分のマンスリーマンションを借りたのですが、それからは朝6時にアラームをセットし、薬を飲んで効果が出るのを布団をかぶってひたすら待つ毎日を過ごしました

1時間程すると、過度な恐怖が和らぎ、今日も会社に行けると心境が変わった事を覚えています

それほど、薬は効果がありました

会議の1時間前には必ず薬を飲んで、動悸と吐き気が収まるまでビルの周りをウロウロし、タバコを5本程チェーンスモークし、ようやく覚悟を決めて会議室に飛び込んでいました

 

自分では極限の業務

真の社畜さん(失礼)には鼻で笑われる勤務実態かもしれませんが、

最終納期まで3ヶ月切った頃

当時の私の1日はこんな状況でした

  • 6時  :薬飲む
  • 7時半 :布団から抜け出す
  • 8時  :出社
  • 17時半:定時なんてない
  • 残業
  • 5時  :終業
  • 5時過ぎ:夕食&仮眠

朝7時頃まで会社にいた事も多々ありますが、さすがにシャワーを浴びたいので30分だけ帰宅

これが3ヶ月続きました

早朝、朝日が昇って鳥がさえずり、会社のブラインドから外をみると桜が蕾から徐々に開花していったのは今でも忘れられません

人生で最悪の花見でした

 

週末は客が会社まで来て、机の後ろに椅子を置き、足を組んでコーヒー飲みながら週刊少年ジャンプを読み、1時間毎に「おい、進んだんか!」と言われ、休めた記憶はありません

もちろん、全て私1人。会社のサポートなどありませんでした

この頃、転職を考え始めました

 

余談ですが、残業時間は意地になって申請しませんでした

上司が「予算必達や。おまえが残業時間つけたらプロジェクトが赤字になるやろ。その辺考えて勤務時間提出してくれ」、と。

この一言で意地を張りました

正しく申告していれば70~100万/月は手当がついていたのに放棄して、家族に申し訳ないです。。

そして、新プロジェクト

なんとか東京の巨大プロジェクトは終わらせました

打ち上げパーティで客先のリーダーが

「僕は仕事が大好きです!!」

と言った時は殺意しかありませんでした

おまえ、毎日定時で帰って、週末は人の会社に押しかけてジャンプ読んで仕事の邪魔してただけやんけ!

 

次に待っていたのも、プロパーは私1人のプロジェクト

割愛しますが、これが決定打となり退職しました

負け犬の遠吠えと思われてもいいですが、技術の無い会社にいても自分は成長しないと考えていました(業績悪化で株価絶賛下落中DEATH)

何より、ここまでメンタルをボロボロにしてくれた奴がいる会社から仕事=金をもらって生活する事を拒否しました

この時、転職を相談した中国在住の10年来の知人が「じゃあ、うちに来る?」と誘ってくれ、転職しました

この時の中期計画/目標は

  • 10年は中国で働き、金を貯める
  • これまでの貯金も考えると、十分セミリタイア生活が送れる
  • 家族を連れて行く、特に子供に中国語を生で学ばせたい

でした

年収も更に上がるので渡りに船でした

心配点は、元の会社と同じ業種である事

 

2005年頃に上海に行った時の発展ぶりは今でも忘れません

日本はいつか中国に追い越されるな、ではなく、10年も経たずに越されるな、と肌で感じました

これは現実になりました

私の日本経済の長期ビジョンは、日本人が海外に出稼ぎに出る時がやって来るという事です

日本人が少子高齢化で外国から人手を集めようとしても、他に魅力的な国があればそっちに流れるのは必然

日本人が中国、シンガポール等へ食い扶持を探しに行く事は十分にあり得る

そうなった場合、子供に小さい頃から世界を見せておき、中国語を学ばせるのは有益だと考えていました

 

しかし、中国での生活は思うように事は運びませんでした

退職した翌日から即、新しい会社に勤務してほしいという要求を飲んだのも失敗でした

本音は3ヶ月位は休みたかったです

そうしておけば、メンタルも変わっていたかもしれないと思います

 

つづく

 

長文の面白みのないブログでしたが、

ご覧いただき、ありがとうございました

 

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